『もういっぺん人生の花を咲かせてみんしゃい』〜
大空にきらめく花火は拍手喝采される。それに比べて、線香花火は弱々しい。しかし、最期の閃光は、懐かしい。「この世に生きた証を残したい」と自利・利他の素願を果たすべくホームページを立上げました。
(1) 生きがい療法(思い出づくり支援ツアー)
がん告知を受けたら、家族会議を開く。病名に基づいて、どんな治療をするか、の方針が決まった後、がん患者家族様と共に企画のサポートを致します。次からは、がん患者が、がん患者を助けていく、これが無財の生きがい療法です。
(2) セミナーの開催(@のみ詳細)
@ 「永遠に生きる共有生命(shared life)」〜心身が衰えて死が刻一刻と近づき
はじめると、生命消滅の恐怖に襲われざるをえない。この恐怖から逃れるために、「死んでも来世があるから」と慰めてくれる宗教に縋ろうとする人が少なくない。しかし、来世があるというのはあくまでも架空の説であることを、近世の人々は知りはじめてしまった。だから、宗教に頼ろうとしても、ほんとうに、死への恐怖から免れることは難しくなってしまった。しかし、心配は要らない。人間を確実に死の恐怖から救ってくれる道は今でもあるからである。それは共有生命の存続を感じることである。自分が死んでも子供や孫が残っておれば、自分の生命はそれらに受け継がれて永続する。わが共有生命が死滅することはない。小我は亡びても、大我は生きて残る。科学的な真理としての来世は、子や孫の生存の中にある。しかしながら、もし、子がなかったらどうなるか。子があっても先に死んでしまったらどうなるか。家族的な共有生命の単位ではまだ不確かである。それでは社会として集成された共有生命を考えてみよう。親が死んでも子は残る。子が死んでも叔父が残る。叔父が死んでも隣人が残る。こう考えてゆくと社会が死に絶えてしまうことはまずありえない。だから人間が自己の生命を社会の生命の一部と考え、社会全体の生命を共有されたわが命と考えるならば、個人や家族が死滅した後にも社会としての共有生命が発展して残ることにより、永遠に生きたいと願う生存欲求は充足されることになる。(共有生命の哲学より抜粋)。前述は「般若心経」の「空相」と解します。「空」は、「0」とします。共有生命は10、100、1000と展開させる「0」です。而も、不生不滅、不増不減。
A 「極楽は子孫の笑顔、地獄は子孫の泣き顔」
B 「極楽出発―ホンネとタテマエ」
C 「遺言(living will)、人生の棚卸し表」
(文責、平井一郎)
